宗教教育とは何かを答えられますか

一般的に言って、現代の日本では、学校教育の場では、宗教教育は一部の宗教系の学校を除いて、行われていません。
しかしながら、そうした宗教になじみのない日本人である常識的な日本人であるあなたは、「宗教教育とは何か」と正面切って問われたとしたら、答えることが出来るでしょうか。

意外と難しいのではないでしょうか。
もしあなたが、マスコミの関係者だとして、「宗教についての特集記事。ニュースを企画してみませんか」と言われて、ほとんどの企画がつぶされてきた事を知っているのではないでしょうか。

その基本には、マスコミ界の「宗教に対する特別視」があるかと思います。結局、いくつかのポイントに絞られるでしょう。
一つは、「政教分離」という怪しげなる考え方でしょう。
政教分離」そのものは、海外などの例を見れば、イスラム国では「有り得ない」ことですし、西欧諸国でも「キリスト教系政党」が活躍していますし、アメリカなども、大統領は「聖書に宣誓して就任しますし、議会の各委員会などでも、冒頭に「神への祈り」から開始されているのは。よく知られていますから、「政教分離」などは、考えられないわけですね。
よく考えてみますと、政教分離というのは、どうやら「無神論」とか「社会主義」といった「唯物論」に随分影響されているのか、ということが推定されるのです。

戦後、日本国憲法で、「国家、政府、教育機関」と「宗教」が関わらないように、と規定されたことを拡大解釈して「政教分離」だと言った勢力があったということでしょう。それが、マスコミにも影響を与えて、あたかも「政教分離」がまるで常識の様にあつかわれてきた部分が、この日本では、戦後の米軍の統治の残滓のように残っているのではないでしょうか。そもそも、日本国憲法には、信教の自由も保障されているのですから、信仰ある方が、政党(結社の自由)を作って政治を行っても、何ら問題はないわけですね。

もう一つのポイント、としては、教育界で、特に日教組などの左翼系の教育者が、「唯物論教育」を頑張ったことによって、あたかも「政教分離」があたり前のように、日本国民が洗脳されかかってきた、という事でしょう。

宗教教育は当たり前のことでした

戦前から、子供たちに仏様、あるいは神様の前で手を合わせることから始め、宗教教育は当たり前のことであったと思うのです。それは、家庭でも、学校でも。
宗教教育というのは、「あなた方は、神様仏様から命を与えられた神様仏様の子供なのですよ」ということが基本であったと思います。
だから、皆、神様の子供で兄弟なのです。だから、その兄弟と仲良くするのです。人生は苦しくても、それは修行の一つで、頑張れば、素晴らしい人生が送れるのです。

このようなことが基本的な宗教教育であり、何も「人を狂わせるようなものは、何もありません」。
逆に「唯物論教育」にこそ、平気で「いじめ」をしたり、「お友達を実験材料として、毒物を飲ませたり、解剖の材料にする」異常な子供を育てる「狂気につながる芽」が潜んでいることは明らかではないでしょうか。


そうなのです、現代の狂気は、無神論教育にその原点があるのですね。